安神社の

祇園坊 (ぎおんぼう)柿 
2代目祇園坊柿(社殿に向かって左側に植樹
  場所 :広島市安佐南区祇園2丁目21-3
            (旧国道 「上祇園バス停」 徒歩2分)
           安神社の本殿前

祇園坊柿の由来
祇園坊柿は寛文年間(16661〜1672年)の「芸備国郡誌」の記述によると1661年以前に佐東郡の祇園社(現在の安神社)に最初に植えられたと記述がある、広島藩主福島公もその美味しさに感嘆されたそうであり、次藩主の浅野公へも献納されていた。
往時は近郊に広まり、昭和初期までは一代生産地となっていたが昭和に入り、食物が豊富になった事や、市街化の為に殆ど見られなくなった。
また、原木もいつの時代かに消滅していたので、平成17年11月に2代目の祇園坊柿として「安神社」内に植樹された。

祇園坊柿とは
柿の実は他のものより一段と大きく、肉は豊かで水分が多い。やや四角形に近く先端はわずかにとがっているのが特徴。
芸備国郡誌に「佐東郡祇園の社僧がこの柿の木を沢山植えて広まったが、近世になって柿の名を言わず、祇園坊柿と言ったのは、その柿の形と社僧の円い頭がよく似ていたからかも知れないといっている」と記されている。

                                                       (参考:境内案内板及び祇園町誌)

 
<安神社>

お祇園さんといって親しまれ、7月下旬に例祭が行われる。昔は丸子山の山稜に出雲の宮の神を勧請して祀った。元慶5年(881)社殿が再建。正安元年(1299)恒例の祭礼中に兵火にあい焼失。嘉永3年(1303)武田家により現在地に本殿を再建、銀山城落城後も永禄3年(1560)毛利元就によって本殿再建。その後文禄3年(1594)毛利輝元が社殿の屋根を葺き替え、福島・浅野氏によりさらに修復した。文化13年(1816)浅野斎賢により社殿を再建せられる。祭神は須佐之男命ほか諸神、本殿は神明式である。


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