光見寺の「山門の扉」を支えていた?
礎 石
広島市安佐南区山本7丁目に 「光見団地」 があります。 この付近に、遠く、奈良時代には既に格式の高い大きなお寺 「光見寺」 があ
ったと言われ、室町時代には、ここで ”武田一族と毛利元就が会談した事も伝えられています。
しかし、その後、火災があって消失してしまいましたが、以後も再建されず、往時の栄華が偲ばれるようなものは余り多く残っていません。
団地が造成される前は ”光見寺池” や、その東側の山の中には ”石段” もあり、近くには ”門前” という小字の地名も残っていました。
以前、この付近を発掘調査された時、奈良時代の頃のものと思われる "瓦" の破片などが出土しており、その内当時のものとして立派
な”丸瓦”は近くの [立専寺] で保管されています。
団地名からも、光見寺跡の概略位置や瓦の存在は多くの人に知られています。
ところが、今回、今まで公開されていない ”珍しい<石>” を初めて所有者より見せてもらいましたのでここに紹介します。
この <石> は当時、寺の領域内であったと考えられる箇所で、現在は私有地となっている所から発掘されたもので、ご先祖の方がいつ
ごろからか、宅地内に移され保管されていたものです。
石は2個あり各々写真のように穴は真円で、窪みの底は平坦です。
『 一体 何の石でしょうか? 』
「恐らく、光見寺の山門の扉の柱を支える ” 礎 石 ” であろう」 と所有者の方は考えておられます。
「穴の大きさ・真円度・底面の粗度・発掘された箇所から考えて、同感です」。 「皆さん、どのように思われますか?」。