光見寺の「山門の扉」を支えていた?

礎 石

     広島市安佐南区山本7丁目に 「光見団地」 があります。 この付近に、遠く、奈良時代には既に格式の高い大きなお寺 「光見寺」 があ
    ったと言われ、室町時代には、ここで ”武田一族と毛利元就が会談した事も伝えられています。 
    しかし、その後、火災があって消失してしまいましたが、以後も再建されず、往時の栄華が偲ばれるようなものは余り多く残っていません。
    団地が造成される前は ”光見寺池” や、その東側の山の中には ”石段” もあり、近くには ”門前” という小字の地名も残っていました。
    以前、この付近を発掘調査された時、奈良時代の頃のものと思われる "瓦" の破片などが出土しており、その内当時のものとして立派
    な”丸瓦”は近くの [立専寺] で保管されています。
    団地名からも、光見寺跡の概略位置や瓦の存在は多くの人に知られています。
     ところが、今回、今まで公開されていない ”珍しい<石>” を初めて所有者より見せてもらいましたのでここに紹介します。 
    この <石> は当時、寺の領域内であったと考えられる箇所で、現在は私有地となっている所から発掘されたもので、ご先祖の方がいつ
    ごろからか、宅地内に移され保管されていたものです。
    石は2個あり各々写真のように穴は真円で、窪みの底は平坦です。

    『 一体 何の石でしょうか? 』
       「恐らく、光見寺の山門の扉の柱を支える ” 礎 石 ” であろう」 と所有者の方は考えておられます。
       「穴の大きさ・真円度・底面の粗度・発掘された箇所から考えて、同感です」。    「皆さん、どのように思われますか?」。
 ☆ 写真
   [ 山門の扉を支える礎石?と考えられる一対?の石 ]  

<礎石ーA>

<礎石ーB>
礎石は横転しており穴は横を向いている
                      
 ☆ 石の使用箇所の想像図 と 石の穴の大きさ(実測)

     
 
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