郷土の教育の先駆者

太田三益(おおたさんえき)  
 祇園町南下安に生れ家は先代から医師であった。その頃の医師は殆どが漢方医で草根木皮を使っていたが、
三益先生は更に西洋医学を学び新法式の医薬と治療法を熱心に勉強し、しかも報酬にこだわらず徳をもって生き
ぬいた真の名医であり医は仁術なり″を身をもつて実践したのである。
従って貧者に無料で診察し、その上にいろいろの栄養品を与えるなど、その篤行は数えきれないほどあった。
三益先生はそのような名医であるとともに、村民の教育については特に意を注ぎ、[使由舎] を創立して子弟教育
に当たり、本郡教育の先駆者としての功績は大である。 この [使由舎] が”祇園小学校”の前身である。
 また、非常に親思いで母に心配をかけないためには好きな酒も止めてひたすらに親の心を安めようと心がけ、
三人の姉妹には悌愛をつくし、その徳行はひろく村民の模範であった。 
当時の郡教育会や、広島県知事から表彰を受けたのもうなづかれるのである。
この偉大な徳とその業績は安神社前に建立されている頌徳碑と共に永遠に朽ちないものである。
                                                                           (祇園町誌)


        

太田三益翁の頌徳碑   [頌徳碑]の書き下し文    ( 書き下し文  畠 眞實氏 )
                          場所 :広島市安佐南区祇園2丁目
             [頌徳碑]解釈文                              ( 解釈文  畠 眞實氏 )


 ああ、鶏が夜明けを告げて起きるや、休むことなくただ自分の利益になることをあれこれ思いはかり、他人の利益については、たとえ一本の髪の毛を抜くことといえども嫌って決して何もしようとしないという者、近年世の中はみんなこういう者ばかりであって、鶏が夜明けを告げて起きるや、休むことなく他人に利益をもたらし、ただ二十七年一日の如く変わることなく、ただそのことを思いはかる者、それはわれらの三益太田翁において之をみるばかりである。
 翁は安芸の国安佐郡祇園村の人である。 村の長老たちはわたしの元にやってきて、わたしたちの仲間は太田翁の功績と徳を称えるために一つの碑を建てようと願う者である、どうか先生(山田養吉先生)にその文章を書いていただきたいと要請した。 そこで自分は三益翁はどんなお人なのかと尋ねると、翁は衛生と教育に心を尽くされ、また親に孝養を尽くしたということでお役所から褒賞を受けられた人である。 幼くして漢学を修得し、医学を研修され、これまでに西洋医学を学ぶため東京に遊学されている。 学業の成果があって郷里に帰って、ついに医を生業とされている。
翁の存在は高くそびえたち、多くの医師たちの尊敬を受けるところである。 そういうことで官庁は翁を任命して衛生に関すること、病院創建を監督・指導するようにされたのである。 翁は命令を承けて、多くの医師の悪い習慣を正し、そのことで病人に便利をはかり、あるいは医学校を興し、あるいは種痘の医術を広め、悪疫が流行れば村役人を監督・指導してまだ広まらないうちに未然に防ぎ、あるいは、既に悪疫の勢いが盛んであれば、これを撲滅したのである。翁の衛生面における功績は以上のごとくである。 次に翁の教育面に関しては、翁が教え育てた医学生・漢学生の数は千人余を下らないほどである。 県下の各郡が小学校を開設しようとするや、翁の門下生を礼を尽くして招いて教師とし、それで小学校を創立したという事例もまた多いのである。翁の教育面における功績は以上のごとくであると、話された。
 自分は次のように述べた。  「経書」 に 「孝弟」 は仁の根本である。 その仁の精神がしっかり確立しているならば、道が生じる、とある。翁はすでに親に対して孝養を尽くされている。 だからこそ衛生・教育の道もまたこのことによって確立したといべきであろうか。 まことに当然であることよ。 こうして長老方が立派な頌徳碑を建立して翁の功績・徳を称えようとされることは。

                    明治三十二年十二月     之を書す    山田養吉 撰


 [ 碑文 ]< 原文 > 及び よみがなつき< 書き下し文 > を見る
ここをクリック

   ☆ 同時代の<郷土の教育の先駆者>     創立者名を クリック すると詳細が表示されます
校名 創立者 設置 設立年 教員数 生徒数 備考
使由舎  太田三益  南下安村  明治7年 1 105  祇園小学校の前身
日成舎  香川寿軒  東山本村  明治8年 1 103  山本小学校の前身
果能舎  藤井東兵衛  長束連光寺境内  明治7年 1 不明  長束小学校の前身
                                                                (祇園町誌)
 Copyright(C)2008,10. WeLoveNishikou
 2008/10
クリックすると、このページを閉じます クリックすると、広島市祇園西公民館Web情報ステーションのトップに戻ります クリックすると、このページの情報を印刷します