広島市街地の遠望が素晴らしい

宗箇山
 広島市西区三滝町と安佐南区長束町とをまたいだ標高356m の [宗箇山] があります。
登山(ハイキング)コースは幾とおりかありますが、主に @三滝コース A長束コース B山本コース があり、登山口はJR可部線の駅やバス停から近く、標高も余り高くないので市民の一般向き登山に人気のある山です。


     [ 宗箇山 ]   
 正式名は[三滝山]ですが、江戸時代「上田宗箇」が植えた松(宗箇松)が山頂にあったことから一般的に[宗箇山]とも呼ばれています。
 特に地元では「元日に”初日の出”を拝みに登る山」としても人気があります。
 山頂や中腹の巨岩上からは瀬戸内の海や島々、広島市街地の高層ビル群、大田川放水路、などの遠望が素晴らしい。
なお、山頂には四代目「宗箇松」が植えてあります(下の写真)。
   

祇園大橋上より[宗箇山]を見る

[宗箇山]からの広島市街地遠望
                                                                     Photo 2008,11
 [宗箇山登山地図]を見る

   [ 宗箇松 ]  
 江戸時代、広島藩の家老上田宗箇が広島城内の上屋敷の「和風堂」という茶屋からの借景として三滝山を選び、頂上に赤松を植えた事からその山を[宗箇山]、また、その松を「宗箇松」と呼ばれるようになりました。 
 しかし、初代「宗箇松」は明治維新後に落雷を受け枯死してしまいました。
 当時これを惜しむ人達によって二代目の松が植えられたものの、戦時中に敵機の目標になるとして軍により伐採され、その後三代目の松が植えられましたが、それも平成10(1998)年”マツクイムシ”によって枯れてしまいました。
 そこで、今度は四代目の「宗箇松」として”マツクイムシ”に強い品種に改良した苗木を平成10年11月29日に植樹されました。
また、その場所に江戸時代の初代「宗箇松」の秀景を偲ぶことができるようにと、土佐光芳筆の松の画とその由来を記した説明板が設置されています。

宗箇山 山頂の[宗箇松]

宗箇山案内板の[宗箇松図]
                                  Photo 2008(H20),11         江戸時代、土佐光芳(1700-1772) により
                                                       描かれた [宗箇松] 図

   [ 上田宗箇 ]
 [上田宗箇](1563〜1650) は当初丹羽長秀、豊臣秀吉に仕え、茶道では千利休に続き古田織部に茶の湯を習った。 豊臣氏滅亡後は浅野氏に仕え、元和5(1619)年、紀州(和歌山県)藩主から広島藩主となった浅野長晟に従って広島に入国した武将で、藩の家老であり、優れた作庭家(縮景園など作庭)茶人(茶道:上田宗箇流の開祖者)でもありました。
         
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