明治〜昭和〜平成 
安神社の社殿 今昔
  昔「安神社」は元 京都の祇園社 ( 現在の八坂神社 ) の末社で、安芸の総社 [ 祇園社 ] と称されていた が、明治2年に現在の社名に改称された。
 1000年を超える歴史ある神社で、元の神社名「 祇園 」が、この地の地名の起源にもなっている。一方、地元では「 おぎおんさん 」と呼ばれ、多くの人に親しまれている存在でもある。
この、「安神社」 の再建の歴史の一端を知る資料を得たので以下に紹介する。
        
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[社殿の形式]
 神明造      
[鳥居]  
 境内入口 ― 明神鳥居
 境内奥 ― 神明鳥居
[狛犬]
  社殿前にあり 
[常夜灯]
  明治期と同じ所にあり
[恵比寿神社]
  明治期と同じ所にあり
        [ 現在の 安神社 (平成30年3月) ]


[社殿の形式]
  神明造 
大正2年の再建以降の
  物であることが判る

[狛犬]
  社殿の前にはなし

拝殿は現在のものと異
  なる
社殿を囲う塀がない

                      [ 大正〜昭和初期と思われる 安神社 ]
                           広島県立文書館 所蔵 「祇園町小史」 より
                                            〜H30.1.17HP掲載認可〜
  


[社殿の形式]
  入母屋造
[鳥居]               境内入口 ― 台輪鳥居
      あり 
  境内奥 ― なし
[狛犬]
  境内入口にあり
[常夜灯]
    あり  
[恵比寿神社]
    あり

注:偶然にも神社焼失年に発行されている

         [ 明治43 (1901) 年 発行図書の 安神社 ]
                   
                「広島懸名所圖禄」より                 
      「 安神社の社殿 建立と再建歴 」
 和暦     西暦         「安神社の社殿 」に関係する事項
貞観11年     869       武田山の麓 丸子山(後に 松尾山) に社殿建立 (縁起による)
元慶5年     881                            (他説では)
正安元年    1299       現在の広島県廿日市市の 桜尾城主 平員家に攻められ焼失
嘉元 年間   1303〜1306     武田氏により同神社の神輿御旅所であった現在地に社殿を再建
永禄3年     1560       銀山城落城(武田氏滅亡)後、毛利元就により社殿を再建
文禄3年     1594         毛利輝元が社殿の屋根一切を葺き替え
文化13年   1816         浅野斉賢により社殿一切を再建
 ( 明治2年  1869        (祇園社→安神社と改称) )
明治26年   1893       大改修される
明治43年   1910       社殿一切を焼失
大正2年     1913         現在の社殿に再建  〜 造り形式は「神明造」に 〜
                                   参考文献 祇園町誌 他
   


 「 安神社 地図 」

     
    
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