棟札(むなふだ) から神社造営の歴史を知る
平山八幡神社の棟札(むなふだ)

 [棟札] とは建物を建てた時、施工主、施工者、建造年月日などを木板に記されたものであり、一般的に棟上の祝いをした後に屋根裏に固定し保存される。
 広島市安佐南区山本7丁目、西山本バス停から西方700mの位置に [平山八幡神社] がある。
この神社には下に示す [棟札] が現存し、社殿造営の歴史を明確に知ることができる。
棟札の一つは 天文12(1543)年9月29日 大内義隆(周防<山口>の守護) が大檀那となり社殿を創建していることが記されており、もうひとつは 永禄3(1560)年 に 毛利元就 と嫡男 隆元 が大檀那となって、宝殿(本殿)を造営した事や、普請奉行には銀山城城番の福井十郎兵衛尉であった事などが記されている。
 一方、この [棟札] から、この地域の安芸武田氏が大内義隆の命を受けた毛利元就によって、滅亡させられたのが天文10(1541)年であるから、その2年後に造営されたことがわかる。
 また、本殿前の梁の上には毛利の家紋が彫ってある蟆股(かえるまた) が残っているし、以後修理はされているものの、屋根上にも家紋を見ることができ、毛利氏がよく護持し、係わりが深かった事が伺える。
  なお、この神社には 一間流造の本殿に八幡の神である 帯中津日命 (たらしなかつひこのみこと) 、 品陀和気命 (ほんだわけのみこと)、 息長帯比売命 (おきながたらしひめのみこと) が祀られている。その他の建造物は、拝殿、土蔵、鳥居、石灯籠 などがある。

 表面                裏面
 大内義隆寄進/棟札
                          「ふるさとやまもと」誌より

 表面               裏面
  毛利元就寄進/棟札
         広島市文化財団 広島城 学芸員解読(2009,11)資料より
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[平山八幡神社] : 広島市安佐南区山本7丁目31 


[平山八幡神社]の屋根上部に毛利氏の家紋がある
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