武田 元綱 (たけだ もとつな)

 1457年大内教弘の大軍が銀山城に来攻したときは、十六歳の初陣を飾り、応仁の乱が起きた時は、二六歳で兄信賢、国信と共に管領細川勝元の東軍に属し戦った。 元網は、安芸三郡(佐東、安南、山県郡)を実質的に継承し、二八歳で銀山城に居館した。 また、1498年の大内義興の安芸侵攻の時も、息子元繁とともに戦い、これを撃退している。


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