安芸武田氏の始まりは1274(文永11)年、甲斐の武田信時が幕府から、元寇<蒙古軍来襲>の防戦のため、安芸へ
   下向が命じられて着任した後に、そのまま定住した時からである。
   しかし、安芸にいても、安芸・甲斐の両守護職を兼務していたので、この時期は安芸・甲斐の武田氏を明確に分離して本
   表に掲載するのは困難である。
    安芸下向から84年後、1358(正平13)年に 武田信武 は長男 氏信 を安芸守護職とし、次男 信成 を甲斐の守護職に
   据えた。
   両氏は自立した自国経営をし、以後の領主はそれぞれの嫡男などが相続したので、あまり干渉しあうことなく、互いの道
   を歩んだので、安芸と甲斐の武田氏は係わりが薄れていった。
    このようなことから、 安芸・甲斐の武田氏を明確に区分できるのは氏信以降である。
   そして、 武田信栄の時代になると、今度は安芸の守護職のほかに若狭の守護職も拝領したので、安芸に一族や家臣
   などの一部を残して安芸宗家が若狭に移る。
   以後、安芸は若狭の分家的(従属的)存在となるが、 元綱 以降は独立的な立場となり明確な「安芸武田氏」といえる。
   このように、安芸・甲斐・若狭の武田氏は複雑に領主が移住するので、 ”いったい安芸武田氏” とは誰らを指すのかと
   疑問を持つ方も多いと思う。 以下の年表をみてもそのあたりが判りにくい事も考えられる。(あまり、分けて考える必要
   はないかも知れないが---)
    本表を見る前に以下の資料を予め見ていただくと、少し理解しやすくなると考えます。
      @領主の在住地、統治国
      A安芸武田氏の系図
      B武田氏当主と時代背景
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