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バウムクーヘン


 
【このページの内容】
1 バウムクーヘン申込の流れ(宿泊利用者)
2 バウムクーヘン用具
3 バウムクーヘン実施場所
4 似島とバウムクーヘンのかかわり
5 バウムクーヘン資料ダウンロード
6 バウムクーヘン物語
7 バウムクーヘンの日

似島は日本のバウムクーヘン発祥の地です


 バウムクーヘンの作り方を掲載しています。ご活用下さい。

 3月4日は「バウムクーヘンの日」です。

 第1次世界大戦のあと、似島にはドイツ人が捕虜として連れてこられました。
  大正6年に似島にやってきた、カール・ユーハイムがここで焼いたのが、
  バウムクーヘンといわれています。
  似島臨海少年自然の家では、当時のレシピを取り寄せて、
  ベーキングパウダーなども使わない
  そのままの作り方で、バウムクーヘン焼きも体験できます。
要予約)

 ※ バウムクーヘン作り体験は炊飯場で行います。炊飯場が利用できるかどうか事前にご確認ください。
 ※ 炊飯場利用には優先順位がありますので、炊飯場の説明をご覧ください。
 ※ 食材は持ち込んでもできますが、食堂へ注文することもできます。食数希望表を提出してください。

 
  (バウムクーヘン食材の注文はご利用日1ヶ月前までです。1ヶ月を過ぎますと申込はできません
 
※ 炭は1コンロにつき4〜6kg必要です。団体でご用意ください。
 
※ 必要であれば、バウムクーヘンづくりの指導も行います。
  
 (職員の勤務によってお受けできない場合もあります。ご確認ください。)

 
☆ 「似島平和」(ドイツ人俘虜収容所)と合わせてご覧頂くと、似島とバウムクーヘンの関係を知ることができます。

バウムクーヘンづくりの様子

   
   
 バウムクーヘン申込の流れ(宿泊利用者)


【施設利用申込】

施設利用申込を利用1ヶ月前までにしてください。

提出書類はこちらから送付いたします。


【書類の提出】

各種書類を自然の家に提出してください。
(申請書以外の書類はここからダウンロードできます)


@ (仮)許可申請書

A 活動計画表

B 物品借用申請書

C 食数希望表(必要に応じて)


※ 「C食数希望表」はバウムクーヘン材料を申し込む場合のみ必要です。

※ 炊飯場での活動ですので、利用状況によっては、
お受けできない場合があります。


○ 炊飯場の利用について…

 炊飯場利用は施設利用予約をされたら、
どの団体でも利用できるオープンスペースですが、
原則利用の優先順位がありますので、必ずご確認ください。



 バンガローテント利用団体 > 宿泊棟利用団体 > 日帰り利用団体




【バウムクーヘンづくり】

炊飯場前じゃり広場または、屋根付きバウムクーヘン場にてバウムクーヘンをつくります。

※ 炭はご持参ください。(1コンロ:4〜6kg)

※ 食材は持参されても結構です。

※ 御利用人数に関係なく
、『材料は7人〜8人/グループ』分必要です。
〈厚みのない、薄いバウムクーヘンになってしまいます〉
〈製作には
3人以上必要です。(焼く人:2人 生地をかける人:1人〉

※ 希望があれば製作指導を職員が行います。

(お受けできない場合もあります。事前にお問い合わせください)

灰処理場横倉庫に小コンロがあります。
準備と片付けをお願いします。
※ 片付けのときコンロが熱くなっています。
やけどには十分注意してください。

(片付けは引率者の方で行ってください)



 バウムクーヘン用具
バウムクーヘンセット
  ○ 小コンロ(1)直径約40cm
  ○ 竹(1)約130cm
  ○ ボウル(2)直径28cm×深さ11cm
  ○ 泡立て器(2)30cm
  ○ おたま(1)
  ○ しゃもじ(1)
  ○ 包丁(1)
  ○ まな板(1)縦23cm×横41cm

 ☆ 炭(約4〜6kg/コンロ)は、団体で持参してください。
 ※ 1コンロあたりに必要な炭の量です。4コンロの場合…
    4〜6kg×4コンロ=16kg〜24kg必要です。


 ※ サイズはおおよその大きさですので、目安にしてください。
バウムクーヘン
セット一式
バウムクーヘン
小コンロ(1)
直径約40cm
バウムクーヘン
竹(1)
約130cm

バウムクーヘン
ボウル(2)
直径28cm
深さ11cm
バウムクーヘン
泡立て器(2)
約30cm
バウムクーヘン
おたま(1〜2)
約30cm

バウムクーヘン
しゃもじ(1)
バウムクーヘン
ステンレス包丁(1)
バウムクーヘン
まな板(1)
縦23cm
横41cm

バウムクーヘン
イス(3)
常設してます

 バウムクーヘン実施場所
生地作り
 
野外炊飯場にて生地作りを行います。

燃え残りの炭は『灰処理場』へ
バウムクーヘン焼き上げ(晴天時)

晴天時には、炊飯場前の『じゃり広場』にて、焼き上げます。
バウムクーヘン焼き上げ(雨天時)
 似島とバウムクーヘンのかかわり

今では誰もが知る洋菓子、バウムクーヘンはドイツ人捕虜によって、日本で初めて造られました。
カール・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・ユーハイムは1886年にドイツのカウプ・アム・ラインで、父フランツと母エマの10番目の息子として生まれました。
国民学校を卒業後に菓子店で修行をしながら、夜間の職業学校へ通い、22歳の時、菓子店協会の会長に勧められて、当時ドイツの租借地であった中国・青島市で、ジータス・ブランベルグの経営する喫茶店に就職します。
翌年、ブランベルグから店を譲り受けて、自らの喫茶店「ユーハイム」を開店しました。
カールの造るバウムクーヘンは、本場ドイツの味と同じと、在留ドイツ人の間で大評判になりました。
1914年春に帰郷し、エリーゼ・アーレンドルフと婚約、夏に青島市にて結婚式を挙げます。
しかし、この直後にドイツはフランスとロシアに宣戦布告して第一次世界大戦に参戦します。
イギリスはドイツに宣戦布告。
イギリスと同盟を結んでいた日本軍は、青島市に駐留するドイツ軍を攻撃し、青島は11月に陥落してしまいます。
投降したドイツ軍将兵は3906人でしたが、日本軍は4000名の大台に乗せるべく員数合わせのために、翌年9月になって在留民間人を捕虜に加えたと云われています。
この中に非戦闘員だったカール・ユーハイムが含まれており、当時妻エリーゼは妊娠初期でした。
カールは大阪俘虜収容所へ移送されたましたが、青島に残した妻と、未だ見ぬ子を思い悩む日々を送ったことでしょう。
1917年2月、インフルエンザ予防のため、捕虜全員が広島にある似島検疫所へ移送されました。
1919年3月になって広島県が、似島検疫所のドイツ人捕虜が作った作品の、展示即売会を開催することになりました。
カールはヘルマンに勧められてバウムクーヘンなどの菓子造りの担当になりました。
カールはバウムクーヘンを焼くための堅い樫の薪や、当時はなかなか手に入らなかったバターなど、材料集めに苦労したそうですが、バウムクーヘンを焼き上げることに成功します。
広島県物産陳列館(現・原爆ドーム)で、開催されたドイツ作品展示会にて製造販売を行います。
これが
日本で初めて造られたバウムクーヘンです。
カールは青島市が日本軍に占領されていた頃、日本人はバターの量が少なめが良いとの経験則を持っていました。
この日本人向けにアレンジした味のバウムクーヘンは、大評判を呼び好調な売れ行きとなりました。
1918年11月になって、ドイツ軍は連合軍との間で休戦協定を結び、第一次世界大戦は事実上の終戦を迎えました。
日本にいたドイツ人捕虜は解放されることになり、殆どのドイツ人は本国への帰国を希望しましたが、カールは青島市に戻る予定でいたようです。
しかし、青島市ではコレラが流行しているとの情報を知り、日本残留を決意します。
ちょうど明治屋が銀座に喫茶店「カフェ・ユーロップ」を開店することになり、社長・磯野長蔵から製菓部主任の肩書きで迎えられることになります。
カールの造る菓子は高い評価を得るようになり、最も人気があったのはバウムクーヘンでした。プラムケーキも品評会で外務大臣賞を得たこともありました。
カールはようやく生活の基盤も整い、妻・エリーゼと息子・カールフランツを青島市から呼び寄せ、この店の3階で親子三人、仲睦まじい生活ができるようになります。
1922年2月、カフェ・ユーロップとの契約が終わりを迎え、今後の生き方を模索している中、ロシア人・リンゾンから横浜市中区山下町で経営していたレストランを、売りたいとの話が持ち込まれます。
カール夫妻は横浜まで視察に出向きます。
売却額は3000円でしたが客の入りは悪く、リンゾンの滞納した家賃や滞った仕入先への支払を肩代わりする条件までつけられました。
カールは断ろうとしましたが、エリーゼは「神の声を聞いた」として購入することにします。
店の名前はカールの姓とエリーゼ(Elese)のEをとって「E・ユーハイム」と名付け、ドイツ風の軽食も出す喫茶店にしました。
近隣には昼食を手頃な価格で出す店がないこともあって、店は評判を呼び大いに繁盛しました。
しかし、1923年9月1日、関東大震災によって横浜は瓦礫の海となりした。
山下町も壊滅的な被害となり、E・ユーハイムも焼失していまいます。
残っていたのはポケットに入っていた5円札一枚で、それ以外の全ての財産を失ってしまいました。
カール一家は神戸市垂水区塩屋の知人宅に身を寄せ、神戸で再起を図ることになりました。
何もかも失ったカールはトアホテルへ勤めようとしたが、バレリーナのアンナ・パヴロワの勧めで、生田区(現・中央区)三宮にあるサンノミヤイチと呼ばれる三階建ての洋館に店を構えることにします。
救済基金から借りた3000円を元手に、喫茶店「ユーハイム」を開店。
横浜時代に育てた弟子達も応援に駆けつけました。
しかし、借金だらけで床に麻袋を敷いて寝る日々だったようです。
第一次大戦と捕虜生活、関東大震災を生き延びてきた気丈な二人は、「ワタシタチハ ヨコハマデ イッショウブンノ カナシイオモイヲシマシタ デモ ワタシ タッテイマス」という、エリーゼの言葉で頑張り抜きます。

ユーハイムの歴史はドイツ人カール・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・ユーハイムと、妻のエリーゼから始まりましたが、二人の残したお菓子・技術・言葉は、現在でもユーハイムとユーハイムの職人達に、大切に受け継がれ、ユーハイムの菓子の美味しさの秘密となっています。
カールの「純正材料が美味しさの秘密」「一切れ一切れをマイスターの手で」「革新が伝統を築く」といった、職人魂を貫く言葉。
エリーゼの「お母さんの味、自然の味」「体のためになるから美味しい」「小さく、ゆっくり、着実に」といった優しい心。
二人の仕事に対する厳しさと、優しさがユーハイムの菓子造りの、伝統として受け継がれています。
ユーハイムでは売れ残りのケーキは、窯で焼いて捨てるという習慣があり、現在も弟子達に引き継がれています。
弟子達に対しては衛生面に気を付けるように厳しく指導していました。
毎日入浴し、三日に一度は爪を切り、汚れのついた作業着は着ない。
カフェ・ユーロップに勤務していた時代には、初任給が15円のところ、風呂代と洗濯代として毎月3円を支給していたということです。
原料についても常に一流店が扱う一流品を仕入れました。
その姿勢は国内で良いものが手に入らないと、ラム酒はジャマイカから、バターはオーストラリアから取り寄せるなど徹底していました。

ユーハイムを開店した頃、神戸には外国人が経営する喫茶店がなく、多くの外国人で賑わいました。
開店してから一年ほど経つと、ユーハイムの菓子を仕入れて売り出す店も現れるなど、経営は順調に拡大していきます。
大丸の神戸店が洋菓子を売り出し、近隣の洋菓子店がバウムクーヘンを模倣して売り出したましたが、ユーハイムの人気が衰えることはありませんでした。
1937年頃からカールの体調に変化が現れます。
エリーゼはカールの振る舞いに尋常ならざるものを感じ、カールを精神病院に入院させます。
カールには病識がなく問題行動を度々起こすようになり、ドイツで治療を受けさせることにしました。
カールは数年後に帰国しましたが、以前のように働くことはできませんでした。
1945年にカールは六甲山にあるホテルで静養することになりましたが、8月14日にエリーゼと語り合ったまま世を去っていきました。
カールは死の直前に、「自分は間もなく死ぬが、戦争は直ぐに終わり平和が来る」と話したそうです。
1942年にドイツ軍に徴兵されていた、息子のカールフランツは死んだと断言。
そして、最後の言葉は「俺にとって菓子は神」と言って、息を引き取きとりました。
エリーゼは「死ぬことが少しも恐ろしくなくなった」と語ったほど、カールの死に顔は優しく安らかだったということです。
翌日、日本では玉音放送が流れ、ポツダム宣言の受諾が発表されました。
そして、9月2日に太平洋戦争が終結します。
1947年になってカールフランツは1945年にウィーンで戦死していたことが判明します。
カールの死後、遺族はドイツに強制送還されます。
カールフランツが大戦中にドイツ軍に従軍したこと、エリーゼが在日ドイツ人婦人会の副会長を務め、本国へ帰国した経歴があることが理由でした。
1948年になり、かつてユーハイムに勤務していた弟子達が、ユーハイムの復興を目指します。
1953年にエリーゼはドイツから戻り、会長として迎えられ、その後も社長として陣頭指揮にあたりました。
エリーゼは「死ぬまで日本にいる」と宣言し、1971年5月に他界しました。
ユーハイムは戦後の洋風化ブームや、1977年から1978年にかけてNHKが放映した連続TV小説「風見鶏」から起こった異人館ブームで業績は急拡大します。
神戸から全国百貨店に展開する洋菓子メーカーとして、モロゾフと双璧的存在となります。
カール・ユーハイム
Karl Juchheim
1886-1945
ユーハイムの妻 エリーゼ
  似島ドイツ人俘虜収容所についてはこちら  
 菓子伝説(YouTube)…バウムクーヘン
 バウムクーヘン資料ダウンロード

 バウムクーヘンの作り方(PDF)


 バウムクーヘン物語

 バウムクーヘン物語


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 マンガでみるバウムクーヘン物語(別ページに移動します)



 動画でみるバウムクーヘン物語(MPEG)
  … 右クリック→「ファイルを保存」でダウンロードできます。(南区魅力発見委員会)

 バウムクーヘンの日
  まめちしき 

大正8(1919)年3月4日に、広島県物産陳列館(後の原爆ドーム)で行われたドイツ俘虜展示即売会 で、ドイツ人のカール・ユーハイム氏がバウムクーヘンを出品しました。日本にバウムクーヘンが紹介された最初のこととされ、ユーハイム氏を創業者とする株式会社 ユーハイムが制定したそうです。 


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