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バウムクーヘン物語


似島とバウムクーヘン

ドイツの伝統菓子、バウムクーヘン

ドイツでは「Der Konig der Kuchen 菓子王様」と称えられ、おいのかせない特別なお菓子です。

バウムクーヘンがドイツで「のお菓子」といわれるのは、きあがった年輪に似ているというのが定説です。

このバウムクーヘンを、
日本めてきあげたのがドイツ、カール・ユーハイムというです。

バウムクーヘンは
当時「ピラミッドケーキ」と呼ばれていました。

1960年代るとそのは「ピラミッドケーキ」から「バウムクーヘン」に改められて一般的られるようになりました。
     
 カール・ユーハイム  妻:エリーゼ  当時の様子

 カール・ユーハイムの生涯

カール・ユーハイムは1886ドイツのカウプ・アム・ラインまれました。

厳しい修行耐え20のとき一人前菓子職人になりました。

菓子協会勧め中国青島(チンタオ)の菓子店めることになりました。

当時青島はドイツの租借地でした。

カール・ユーハイムの
るバウムクーヘンは「本場ドイツの」と評判呼び権威あるマイスターの資格取得しました。

5年間ぎて、カールはひとりの女性紹介されたのです。その女性こそエリーゼでした。

ふたりは19147月青島結婚式をあげました。

しかし、
折悪しく第一次世界大戦勃発し、青島日本軍占領されてしまい、カールは日本強制連行されてしまったのです。

広島似島)の収容所入ったカールでしたが、1919大正834広島県物産陳列館原爆ドーム)で開催されたドイツ作品展示即売会似島獨逸俘虜技術工藝品展覧會)で自慢のバウムクーヘンを出品しました

これが
日本めてかれたバウムクーヘンでした。

1920年捕虜生活から開放されたカールは、その後も日本残り青島されていたエリーゼは息子のフランツをれて日本渡り、カールと再開しました。

1921全財産をはたいてれたのが横浜だったのです。

E・ユーハイム」では、バウムクーヘンをはじめ、サンドケーキ、プラムケーキ、アップルパイなどが飛ぶように売れ順調滑り出しをみせました。

しかし、マイスターの誇りであるバウムクーヘンだけは職人にまかせることはありませんでした。

1923
関東大震災こり、一瞬にして化してしまいました。

多額借金をして神戸三宮新しいJuchheim's」という開店しました

その後
新しい店などに押されて売上落とすこともありましたが、そんなエリーゼはカールや職人向かって力強く言いました

たちは最高材料最高技術でお菓子っています。心配ありません。」

やがて第二次世界大戦勃発しました

職人たちも次々戦場きました。神戸空襲け、夫妻六甲疎開しましたが、カールは倒れ日々衰えていきました。

1945年夏広島長崎原爆投下され、終戦迎える前夜、カールは引き取りました

エリーゼも終戦後ドイツに強制送還されてしまったのです。

しかし戦争から戻った職人たちが1950年神戸生田神社前開き「ユーハイム」を再開したのでした。

1953には、6年ぶりにエリーゼを日本迎えることができたのです。

再びユーハイムは、カールとエリーゼの理念導かれながら美味しいお菓子」を作ることで、新た時代かってめたのです。

 カール・ユーハイムについてのお話しは「JUCHHEIM」を参照しました。
詳しい内容は「JUCHHEIM」をご覧下さい。