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平和学習の活動例U


似島臨海少年自然の家では、無償で職員による「平和学習」を行っています。(要予約)
平和学習における活動の様子をここでは紹介していきます。
平和学習を実施する際の参考にしてください。
なお、修学旅行等による平和学習実施の計画例をこちらに掲載していますので、あわせてご覧ください。

 ○ 「平和学習の活動例T」(プレゼンテーション&遺構巡り)についてはこちら

 
 平和学習U(プレゼンテーション&慰霊碑参拝)
   平和学習実施における、通常コースになります。

 プレゼンテーションは…
 
@ 小学生向きの短縮版(60〜80分)
 
A 中学生以上向きの短縮版(60〜80分)
 
B 中学生以上の通常版(80〜100分)
 があります。

 慰霊碑参拝りは…
 
○ 似島中学校南側にある慰霊碑に参拝します。(60〜75分)
 
 

活 動 例
プレゼンテーションソフトを使った説明

献 納 例
☆「慰霊碑参拝」への職員の随行はしておりません。ご了承ください。
※修学旅行利用、「山・海・島」体験事業利用の場合は、ご相談ください。 
 
 献 花  折り鶴 献 水
 各学校(団体)で、慰霊碑に献納するものを事前に用意しておきましょう。
     
慰霊碑参拝
     
慰霊碑横の「慰霊の広場」をボランティアで整備する人々
 「慰霊の広場」の整備ボランティアをされる場合は、事前にお知らせください。
(軍手・移植ごて・虫除け等をご用意ください)
※季節によっては、日差しが強いため“水筒”“帽子”“タオル”等をご用意ください。
 

 

平和学習(慰霊碑参拝)の活動例
@    「プレゼンテーションソフトを使った学習」
 〈ぷれぜんてーしょんそふとをつかったがくしゅう〉


 @ 似島について
 A 似島の遺構の紹介
 B 似島検疫所(消毒所)について
 C 太平洋戦争
 D 特別攻撃隊
 E 原子爆弾投下(広島)について
 F 原子爆弾投下後の似島
 G 戦後の似島
 H 終戦後の原子爆弾被害と被爆者の苦労
 等について学習していきます。
 なお、通常版においては、「似島独逸人俘虜収容所」
 (第一次世界大戦時)についても触れていきます。
 
A    プレゼンテーションの学習後、休憩を約10分程度とり、
 体育棟玄関前(つどいの広場)に集合します。

 慰霊碑前には、120人程度までが整列整列することが
 できます。

 
施設外へでますので、安全には十分注意してください。

 一般道を歩くときには、他の通行の妨げにならないよう
 ご注意ください。
B     「似島陸陸軍検疫所跡」
 〈にのしまりくぐんけんえきしょあと〉


 生活棟裏(多目的広場側)にある、
 「似島陸軍検疫所跡」の碑です。

 似島臨海少年自然の家(似島臨海公園)が検疫所で
 あったことを示す碑を見学します。
C    「防空壕跡」(7カ所)
 〈ぼうくうごうあと〉


 「防空壕跡」は、自然の家の家入口道路向いにあります。
 空襲警報が発令された時に、この横穴に避難します。
 原子爆弾投下時、第二検疫所は臨時野戦病院
 となります。
 その際、この防空壕も使用されました。

 確認できるだけで、7つの防空壕があります。

 現在は、安全のため、コンクリートで蓋がしてあります。
D    「慰霊碑」
 〈いれいひ〉


 「慰霊碑」は似島中学校南側にあります。

 原子爆弾投下後、1万人に及ぶ負傷者が似島に運び
 込まれました。

 治療の甲斐無く、多くの人々が亡くなりました。

E    「慰霊碑の説明版」
 〈いれいひのせつめいばん〉


 昭和20年8月6日 広島市は人類最初の原子爆弾に
 よって、一瞬のうちに20数万人の死傷者をだしました。
 ここ似島にも、被爆直後から多くの負傷者が運ばれ
 てきましたが、応急看護の甲斐もなく死亡者が続出し、
 混乱のなかとはいえ、一部は仮埋葬のなかでこの地に
 眠り、悲しくも数十年の歳月が過ぎました。
 昭和46年11月 似島中学校農業実習地から推定
 517体の遺骨と推定100体分の骨灰、その他の遺品
 が発掘されました。
 この慰霊碑は、1年後の昭和47年11月に原爆で亡く
 なられた御霊の冥福を祈り平和の近いを新たにし、建立
 されました。
 その後、平成2年9月 旧陸軍馬匹検疫所焼却炉跡から
 スコップ300杯分の骨片、骨灰が発掘されました。
 発掘された遺骨は、平和記念公園内にある原爆供養塔
 に納骨し、遺品は平和記念資料館に保管されています。
    「慰霊碑を訪れる生徒たち」
 〈いれいひをおとづれるせいとたち〉


 人類最初の原爆被害を受けた広島の人々は、助けを
 求め似島にやってきました。

 しかし、多くの被爆した人々が亡くなり、この辺り一帯に
 火葬されることもなく埋葬されました。

 平和への祈りを込めて、多くの人々がここを訪れます。
G     「慰霊碑に献花する生徒たち」
 〈いれいひにけんかするせいとたち〉


 この日、中学生の生徒たちが、慰霊碑に献花
 (けんか)しました。
H     「慰霊碑にむかって黙祷する生徒たち」
 〈いれいひにむかってもくとうするせいとたち〉


 慰霊碑に献花した後、先生や生徒たちは、
 平和への祈りを※ながら、約1分間の黙祷(もくとう)
 をしました。
I     「慰霊の広場」
 〈いれいのひろば〉


 「慰霊の広場」は、「慰霊碑」の道路向かい(慰霊碑南側)
 にあります。

 地域の方々が…
 『我々は人類恒久平和と被爆犠牲者追悼の願いを込め、
 この広場が皆に親しまれ愛されるよう整備・管理する』
 という思いのもと、整備をされたところです。
J     「慰霊の広場の説明版」
 〈いれいのひろばのせつめいばん〉


 『説明』
 昭和20年8月6日、人類初の原子爆弾が広島市に投下
 されました。第2次世界大戦時、似島には第一検疫所・
 第二検疫所・馬匹検疫所がらなる陸軍検疫所が設置
 されており、その関係で多数の被爆者が船で運ばれ、
 この検疫所が臨時野戦病院となりました。
 医師や島民の懸命の介護の甲斐なくその多くは亡く
 なり、この地に葬られました。
 平成16年に「火葬されていない遺骨がこの地には今も
 眠っている」という島民の声に広島市が戦後第3回目の
 遺骨発掘作業を行い、その作業に多くの島民が携わり、
 数多くの遺骨・遺品を発掘しました。
 翌年には、この地に設置されていた慰霊碑を隣接地に
 移動、整備しました。
 この度、国有地を借用することができたことから、島に
 残る史実を後世に伝えるため、遺骨発掘場所にこの
 広場を整備したものです。

K     「慰霊の広場のモニュメント」
 〈いれいのひろばもにゅめんと〉


 「慰霊の広場」には、いくつかのモニュメントがあります。
 そこには、その場所で発掘された遺骨や遺品の数等も
 表示されています。
L      「慰霊の広場に植えられた花々」
 〈いれいのひろばにうえられたはなばな〉


 「慰霊の広場」は島の方々が四季折々の草花を植え
 られています。
 夏には、向日葵等も咲きほこります。

M     「慰霊の広場を整備する人々」
 〈いれいのひろばをせいびするひとびと〉


 身寄りも分からず、被爆し亡くなられた方々が
 長期に渡って冷たい土の下に埋葬されていました。

 原子爆弾によって亡くなられた方々の霊を弔うた
 めに、この「慰霊の広場」を島民だけでなく、慰霊碑を
 参拝された方々もボランティアで草抜き等整備される
 姿もみうけられます。

 

 

 

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