湯来の文化財をたずねて
テキスト ボックス: 慶長五年(一六〇〇)安芸・備後の領主となった福島正則は翌年十月〜十一月の間、検地奉行を各地に派遣して領内一斉に総検地を実施した。本帳は慶長六年十月、佐西郡婦し谷上村(現在の湯来町伏谷)で実施した結果を記録した検地帳で村方で保存してきた「控」である。表紙には「慶長六年十一月日安芸国佐西郡婦し谷上村御検地帳」と題す美濃判(縦二七・二p横二一・五p)の袋綴じで書かれ坂井信濃が検地奉行として署名している。
検地帳は村の中の田・畠について一筆ずつ十二段階に細かく分けられ、等級、村内の所在地、面積、収穫量、耕作人の名前が詳しく書かれている。屋敷についての等級はなく畠の収穫量と合わせてどちらも米での評価に換算されている。最後のページに婦し谷上村の・畠・屋敷の別に面積と分米(米の生産力に換算した評価)が出され、総面積、総石高、屋敷数がまとめられており、総面積が田、畠、屋敷合わせて三十九町五畝二十七歩(約三十八万7千u)で村高(村の生産力、分米の合計)が合計四百三十石四斗二升八合六勺(約六十四・六t)であることが記されている。
 これは村が負担する年貢を割り出す基本の台帳で、藩の財政の基礎となる非常に大切なものであることから、少しの不正も防ぐため割り印を押し二冊作られ「藩」と「村」に保管された。この検地帳は平成十三年(二〇〇一)旧湯来町重要有形文化財の指定を経て広島市と湯来町の合併に伴い広島市に引き継がれ平成十八年広島市の指定重要有形文化財となり現在は広島市の文化財団が広島城内に保管し非公開となっている。福島正則は一六一九年幕府によって改易され福島時代の史料はほとんど残っていない。同時期の検地帳はこの婦し谷上村のもの以外に三冊あり現在の佐伯区五日市地区にある元三宅村・坪井村・皆賀村のものでいずれも広島市の指定重要有形文化財に指定され、当時の村落の構成などを分析する貴重な資料とされている。
テキスト ボックス: (文化の会 中尾 毅)
広島市重要有形文化財指定
[安芸国左西郡婦し谷上村御検地帳]
(その二十六)

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検地表 二枚目.png検地表 田畑合計.png