江戸末期私塾を開いて庶民の教育にあたった

石井栄藏 (いしい えいぞう)  
 江戸(徳川)時代の末期には、庶民教育が普及し、農工商の子弟の中にも、向学心にもえ、教育を受けたいと希望するものが増してきた。 これらの人たちは、寺子屋やその他の私塾 (師匠屋) に通って教育を受けた。 寺子屋や私塾は、寺院又は一個人によって経営されたもので、一教室一教師程度のものが多く、教育の内容は読み、書き、そろばんであったようである。

 旧祗園町においても、その例にもれないで多くの寺子屋や私塾があったものと思えるが、記録がないのでその詳細について、余り知ることができない、しかし、[AIJC中学・高等学校](元 大下学園祇園高等学校)の門前には石井栄蔵先生の石碑があり、それによって、先生が私塾を開いて、庶民の教育に当たったことがわかる。

 その碑文から
石井栄蔵先生は、徳川末期の人で、漢学を修め、書道、謡曲に練達され、 塾を祇園に設けて子弟を教育されている。
先生の教えを受けた人々が、その遺徳をしのび、塾のあった場所へ石碑を建てたのである。
その石碑、碑文は下のとおりである。                                (祇園町誌)


        
石井栄蔵の頌徳碑 photo 2011,4     [頌徳碑]の碑文
 場所 :広島市安佐南区祇園2丁目33-16

   ☆ 江戸末期から明治初期の<郷土の教育の先駆者>     創立者名を クリック すると詳細が表示されます
校名 創立者 設置 設立年 教員数 生徒数 備考
使由舎  太田三益  南下安村  明治7年 1 105  祇園小学校の前身
日成舎  香川寿軒  東山本村  明治8年 1 103  山本小学校の前身
果能舎  藤井東兵衛  長束連光寺境内  明治7年 1 不明  長束小学校の前身
                                                                (祇園町誌)
 Copyright(C)2011,5. WeLoveNishikou
クリックすると、このページを閉じます クリックすると、広島市祇園西公民館Web情報ステーションのトップに戻ります クリックすると、このページの情報を印刷します