郷土の教育の先駆者

香川寿軒(かがわじゅけん) <1844-1917> 
 香川寿軒は弘化元年(1844)11月生まれ、旧藩主浅野公の侍医恵美養軒に師事し30年間医術を修業し、続いて旧藩学問所で5ヵ年漢学を修業。明治初年[師匠屋]を開いて村民の教育にあたる。その後、旧藩修道館で 5年8ヶ月洋方内科学を修業し、明治6年(1873) 山本小学校の前身となる [日成舎] を創立し最初の教員になった。同10年日成舎での教育の職を辞し、翌年旧藩主の子息(慈命・虎松・倉吉・忠彦)の付添医師及び教育係となる。
明治13年(1880)に子息は東京の本邸に帰ったので、以降医業に従事する.一方明治22(1887)年東山本村での最初の議員に選ばれその後22年間村政に尽力した。
 また、香川寿軒は漢籍に通じ、詩書においても大家で、立専寺前の石燈籠の[照塵] 並びに真幡神社の鳥居にある石額の[真幡社]の文字は氏の筆跡を写刻したものです。
                                                          (参考:祇園町誌)
立専寺(りゅうせんじ)の門前 香川寿軒の筆跡を写刻した石燈籠 [照塵]

 場所 :広島市安佐南区山本9丁目
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        立専寺の門前


 真幡神社と鳥居 香川寿軒の筆跡を写刻した石額 [真幡社]

                             場所 :広島市安佐南区山本9丁目20   
                                                     真幡神社
    
                                                

                                                           
      
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校名 創立者 設置 設立年 教員 生徒 備考
使由舎  太田三益  南下安村  明治7年 1 105  祇園小学校の前身
日成舎  香川寿軒  東山本村  明治6年 1 103  山本小学校の前身
果能舎  藤井東兵衛  長束連光寺境内  明治7年 1 不明  長束小学校の前身

                                                                                          (祇園町誌)

                                                                    2008/8    

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