武田山 東麓(祇園・山本・長束)の

武田一族及び家臣たちの墓石  その2(山本地区)
N0 写  真 場所 / 遠景写真 / その他
@  [武田一族の墓]
  広島市安佐南区山本9丁目36
 墓は石を小山のように盛ったもので三基並んでいる。古くは
 五輪塔があったと言われているが、今はその一部と思われる
 宝珠形の頭部(空輪)が4個あるだけである。
 「芸藩通志」に「武田光和の墓。東山本村、三王原にあり、桜
 樹をしるしとす」とあるが、それがこの墓なのかは定かでない
 。
 武田山保勝会が皇紀2600年(1940)の記念事業として建
 てた 「銀山城武田氏之墓」 の石標がある。
A   広島市安佐南区山本9丁目12
 道端に円形の〔水輪〕の部分が1個のみある
B
五輪塔 大きさ(高さ):90p
  広島市安佐南区山本9丁目34
 個人宅の西側に”塀”を設けるべく、整地しようとしたところ、
 この墓が見つかった。五輪塔の形で残っている。六輪となっ
 ているが、水輪の一つは他のものか?。
C
頭部(空輪)の6個と(風輪)3個、(水輪)1個
  広島市安佐南区山本9丁目33
 コンクリート路肩の上部に一列に並んでいるが、前側道路工
 事で発見され、この位置に移されたものと考えられる。
D
頭部(空輪)の1個と(水輪)2個
  広島市安佐南区山本9丁目33
 畑の片隅におかれている。他にもにも墓石の一部が有ったそ
 うであるが、数十年前畑の中に埋め込められたそうである。
E
頭部(空輪)5個他
  広島市安佐南区山本9丁目44
 西側の団地を造成中、五輪塔の一部が見つかり約20〜
 30m離れたこの地に移設されている。
F
宝篋院塔の一部である宝珠と笠石
  広島市安佐南区山本9丁目45
 武田山山麓の竹やぶの中にある。
G
五輪塔の一部と宝篋院塔の笠石
  広島市安佐南区山本7丁目

 専念寺の墓地に無縁墓として集められている。
 頭部(空輪)は計4個、宝篋院塔の笠石が1個
H
五輪塔は適当に積み重ねられている
  広島市安佐南区山本7丁目
 付近で出てきたものを個人墓地の一角に設置されたそうで
 ある。
I
  広島市安佐南区山本7丁目
 個人墓地の傍ら山の斜面に五輪塔の一部が多量に露出し
 ている。
 現在地より少し上にあったものが土砂と一緒に数メートル下に
 ずり落ちた?ようである。
 移設された形跡はなく、当時この地が墓地の近くであったと推
 測される。
J
  広島市安佐南区山本7丁目
 個人墓地の背後にある.。
 近くの畑から出たもの。
K
  広島市安佐南区山本5丁目

 第二東亜ハイツの団地(元 山林)造成中に発見され、近くの
 共同墓地の一角に置かれている。
                                          
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