武田山 東麓(祇園・山本・長束)の
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宝篋院塔と五輪塔について | ||
解 説 |
<宝篋院塔> | <宝篋院塔(ほうきょういんとう)> ★宝篋院塔とは本来宝篋院陀羅尼を納めた塔である。中国の呉越王である銭弘俶が延命を願って、諸国に立てたものが簡略化され左図の様な形になった。 我が国では鎌倉期以降、供養塔や墓碑として建立される様になった。 ★構成は基本的に左図のとおりであるが、時代や地方により多少の違いがある。 建立年代は鎌倉時代〜江戸時代が主で、一般的に塔身の四方には四仏(阿しゅく仏、宝相仏、阿弥仏、微妙声仏)または凡字が刻まれる。 <五輪塔> ★五輪塔婆とも言う。密教で説かれている宇宙の生成要素である5大思想である・空・風・火・水・地の意味をもっている。 ★平安時代中頃から鎌倉・南北朝時代にかけて密教が盛んになると、供養塔として建てられ、しだいに墓標としても建てられるようになった。これは武士等身分の高い家に多く、一般庶民が建てる例は少ない。 ★今回写真で紹介する墓石は武田信光が安芸の守護職に任じられた1221年以降、信実の時代に落城した(1541年) 間の、15代、約350年間に建立されたものであると考えられる。 |
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<五輪塔> | ||
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