武田山 西麓(安・伴地区)の
武田一族及び重臣たちの墓石  その4(安・伴地区)
N0 写  真 場所 / 遠景写真 / その他
@  [武田一族の霊碑]
  広島市安佐南区 高取南1丁目
 団地造成地に散在していた墓石をニュ-
 ハイツ高取団地内の墓地の一角に集め
 られている。
 そこには、武田氏の重臣であった佐々木
 氏の後裔の方による [武田一族の霊碑
 が建立されている。
A  [武田一族終焉の地](伝承)
  広島市安佐南区長楽寺3丁目9
 銀山城落城時、武田一族が処刑され
 た場所(伝承)にある墓石です。
 
 もう少し詳しい説明はここをクリック

B  広島市安佐南区沼田町伴
 [雲岸寺] の墓地ににある。
 雲願寺は元アストラムラインの西側山林に
 あったが、同工事に伴い寺や墓石が現在の
 東側に移設されている。

C  広島市安佐南区沼田町伴
 [三城田] というところにある。地名の由来は
 この地に武田一族 ”伴氏” が伴の三箇所に
 城を設けていたことによるものである。
 この地域にあったものを寄せ集められた墓
 石である事から 「伴氏」 のものと考えられる
 のが一般的であるがが、現在わかっている
 守護(本家)武田氏の墓石より立派で数も多
 く、ミステリアスである。
E  [伴氏の墓/長福寺跡]
   広島市安佐南区沼田町伴
 伴氏の菩提寺であった [長福寺] にあったも
 のであり、同家の墓石である。
 中央の大きな 「宝篋院塔」 墓は武田氏滅
 亡と同時に戦死した 「伴城主 伴繁清(伴五
 郎 )」 の墓石と伝わる。
 「伴繁清(伴五郎)」 は光和の妹の嫁いだ義
 兄弟である(武田光和の実弟説もある)。
E  広島市安佐南区沼田町伴
 [長福寺跡] より数百メートルの位置にある。
 周辺の造成に伴い散在していた墓石をここ
 に集められたものである。
                                          
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