武田氏滅亡悲話-その2
武田一族 終焉の地 (伝承) 武田山の背後、広島市安佐南区長楽寺にある「ふじが丘団地」の下に、こんもりと繁った林が残っており、この一帯が、武田一族の終焉の地と言われています。
この終焉の地は ”餓鬼の首” といわれ、 この地で武田氏が滅びた時、一族郎党たちを”首切り処刑”した所で (<安郷土史懇話会>によれば=悪人や罪人を処刑した場所であった所とされている) 、掘れば血がでると言われている。 首切り処刑したと言われる 約1.5m 四方で高さ 1m の石積みがあります。
この場所には武田一族の後裔の方たちが建立された 「武田一族の終焉の地」 の石碑があり、それには次のような碑文が刻んであります。
『 今を去ること四百年有余年昔、天文十年三月十三日新羅三郎源義光が末裔 安芸の国守護武田信重はおしよせる大内.毛利の大軍に祖父の地を死守せんと戦せしも、 衆寡敵とせず金山城にて一族諸共に自刃す。
残りし血族は悉く捕われ 六親等に至るまで女人、幼ごの区別なくこの地冷たき石積の上に あわれ無情の刃にかかりてはて封印される。
時は流れ辛くも難をのがれその血を今に伝えし物共真を積みて、悲願結集し尊き仏法の功徳をもって縛はとかる。
今はただ苦もなく怨みもなく一族とともに仏国浄土に赴かん。 願わくはその説く所怨親平等の大慈大悲戦乱に倒れし遍くの諸霊の上に注がれん事を。
諸行無常 是生滅法 生滅滅巳 寂滅為楽 』
武田信重が裔 **** ****
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武田源三が裔 ****
平成十年四月建立
![]() 武田一族終焉の地 |
![]() 武田一族終焉の地 の石碑 |
![]() 五輪塔墓石(頭部) |
![]() 五輪塔墓石(頭部) |
![]() 首切り処刑石積 |
![]() 五輪塔墓石の一部分 |
[ 地 図 ]