武田氏ゆかりの寺院
城平山 順正寺 (じゅんせい じ)
 所 在 地 :  広島市安佐北区狩留家町4194

 本寺院は武田氏に深く関わりがある。 武田重信が室町時代の天文5年に開基しており、以来、武田家が相続し、
17世の現在に至っている。境内端の墓碑には16世歴代住職の名が全て刻まれている。
 なお、天文5(1536)年といえば武田信玄が16歳で元服した年であり、安芸国では
武田光和が活躍した時期である。
その時代の開基(今から484年前)であるから歴史の古さが計り知れる。
寺は城跡に創建されたとされており、石垣、塀など立派で他にも武田氏に関わる威光が各所に垣間見れる。

[ 中郡古道散策マップ ]/てくてく中郡古道プロジェクト (作成:狩留家郷土史研究会)資料には次の記載がある

 『天文5年(1536)甲斐国から武田四郎尉重信(武田信虎の弟、武田信玄の叔父、僧名重順)が戦乱を避け来狩し、古城跡に開基しました。信玄が家督相続する5年前のことです。
 その頃は狩留家までが安芸守護職武田氏の領地で、三田が毛利氏の勢力範囲と、ここは国境の重要な場所であった。
 ここに城があったようですが、城主はわからず、廃城になっていました。 
はかまだれの石垣が城跡の名残を残しています。
 当時は福寿院寿福寺の薬師如来を御本尊とし、真言宗でありました。二代住職道加の時、浄土真宗に改宗。これは毛利輝元が浄土真宗を庇護したことによります。それまでご本尊としていた薬師如来像は薬師堂に安置され、順正寺抱えとなっています。』
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                                          photo 2020/7

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