武田信隆 ( のぶたか ) が寄進した
鰐 口 (わにぐち)

  武田山(銀山城跡)の西方に位置する [安 (現在の地名:安佐南区高取北一丁目)] に 光明寺 があります。  
古くから武田家と関係があり、銀山城主 武田信光(1162〜1148)の時、鬼門鎮護 (鬼が居ると言われる方位か
らの災難を除ける) のお寺(当時は 圓妙院 と言った)として崇敬されていた、と諸伝に残されています。
以後も代々かかわりが深かったと考えられます。
 それを裏付けるものとして、 「武田信隆」 が 「鰐口(わにぐち)」 を同寺に寄進しています。そして、その「鰐口」
が現在寺宝として大切に保存されています。
 銅製で1面はかなり磨り減って、数箇所穴があいており当時長期に使用された事がよくわかります。 
寄進者の 「武田信隆」 名、寄進年月 「正安二年三月」 や 「吉祥日夜珠圓妙院毘盧遮那佛尊前」 などの刻銘が明確に読
み取れ、歴史を実感できるすばらしいものです。

 なお 広島県の 「鰐口の重要文化財」 には製作年代順に
       1位 三次市布野町     知波夜比売神社  ( 1334年 )
       2位 尾道市東久保町    浄土寺    ( 1349年 )
       3位 福山市神辺町     蓮乗院     ( 1409年 )
       4位 廿日市極楽寺山    極楽寺    ( 1493年 )   などがあります。

 光明寺の 「鰐口」 はなぜか重要文化財には指定されていませんが、年代は正安2(1300)年、地方有力領主の製作(寄
進)などが明確で、 歴史的価値から考えても、上記の鰐口にも勝る一級品の文化財だと考えます。
                                             


        正面                            背面
              武田信隆が寄進した [ 鰐口 ]            (大きさ:直径約25cm.)
                      [拡大写真]を見る
                                       photo 2009/3


[光明寺] : 広島市安佐南区  
           高取北1丁目 
「鰐口(わにぐち)」とは
写真に示すように、
仏堂前の軒下に吊るした金属(一般的には銅)製の音響仏具で、大紐などを振り動かして打ち鳴らすものです。 
 <注>

この写真は使用例を示すもので、光明寺の「鰐口」ではありません。(安佐南区西原の”楊柳観音”の鰐口を参考までに掲載しています)また、光明寺には常時吊り下げはされてなく、通常は拝観できません。

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