(倉重)倉重の高山神社跡の前を通っている細い道。ここから千同方面に向かっている。

(千同)ここから坪井方面に向かっている。

(坪井)坪井の長福寺の前の細い道。今はアスファルトで塗り固められている。この道の上側にお茶堂があったといわれ、今もその井戸は残っている。旅人は、このお茶堂で一休みし、眼前に広がる海や島々を眺めながらのどをうるおし、旅の疲れを癒したのだろう。
(三宅)一部古い石積みが残っている。





 「古代山陽道で山の陽(南)を影面(かげとも)という。山の陰(北)を背面(そとも)という」と日本書紀に書かれてあるそうだ。古くは、山陽道を「かげともの道」と呼んだそうである。
 観音地区の所々に幅1mにも満たないこの道が今も残っている。古代の人々は、瀬戸の海のかがやきや美しい島影を眺めながらこの道を旅したことだろう。
 コンクリートでぬり固められたところもあれば、当時の石積みのまま草にうもれる道もある。
 なお、かげともの道について諸説があるが、今回は五日市観音小学校作成「ふるさと探検シート」を参照。