佐伯区坪井二丁目

 坪井将監(つぼいしょうげん)、名は元政、のちに和泉守といった。先世(祖先)数代が大内家の幕下に属して坪井村を領(管理)していたといわれる。将監は幼名を又右衛門といい、毛利家に属し、毛利元就と陶晴賢が戦った折敷畑の合戦(厳島合戦の一年前)で戦功をあげたといわれている。
 将監は大変に力の強い人で芸備風土記に「極楽寺山の坂道に大きな石があり往来の人のじゃまになっていたのを又右衛門は手で自ら石をさげて18町(約2q)の坂道を下りわが家の門前に置いた。」という説話が書かれている。これが今も坪井に残っている65貫(約240s)の力石である。
 将監の力石は後に田圃(たんぼ)の石垣として埋められていたが、今は田中正雄氏の畑地にあたかも記念碑のような形で建てられている。
 また、将監は極楽寺の千手観音に力がつくように、千日祈願をしたという話も伝わっている。