平成16年度 広島市八幡公民館:魅力づくり事業
ふるさと再発見/歴史調査カード

件名 08 宝神社跡 09 山入寺
所在地 佐伯区八幡五丁目
写真
内容  「山入寺」は鎌倉初期の建保年間(1213〜19)に、標高115メートル(現在NHKテレビ電波中継所)の寺田地区西の山麓にあった。かつては「深入城」(城主不明)と言われ、城主が八幡宮を建立したがその後絶えたために、旧寺田村の「六角山深入院」に引き受け守られていた。その後真言宗から浄土真宗にされ「六角山山入寺」となった。応永32年(1425)には天火明神を勧請し、文明元年(1491)八幡宮を寺田村30戸の氏神社とした。その後神田口に社殿を建て、深入城山麓の清水口の清水大明神を合祀して「宝神社」となった。神田口と清水口の2社地は神領地であったが、関が原の戦いの後に福島正則に没収され、殆んど造営や修理が行われず荒廃した。享保元年(1716)に山入寺彦四郎が敷地を寄付し、社殿を建立して山入寺山麓に移転した。現在も山入寺跡の入口には五輪塔が残る。明治41年(1908)に八幡村の神社合祀が開始され、漸く大正4年(1915)に「大正神社」となった。昭和3年(1928)に梅王田の八幡神社を合併し、村社として「八幡神社」(ヤハタジンジャ)となり、八幡地区全域の氏神社となり、宝神社も本殿内に合祀されている。注:天火明神(アメノホアカリノカミ) この神は太陽を神格化したもので、原始時代から太陽信仰は各地にあり、有力氏族が独自の太陽神を崇拝していた。神格は太陽神や農業神であり、神徳は農業守護や治山治水である。
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