散策ガイド
1.広島綿糸紡績会社跡

 明治維新で旧広島藩の藩士を救済するため、明治16年(1883年))に操業開始しました。
 原動力は、八幡川の水力を利用し、4.5馬力のイギリス製タービン式水車などの最新鋭の紡績機械を使用していました。
 原料にはインド綿を使用し、その綿を運搬するために山陽鉄道(現JR)に五日市駅が設置されました。
 会社があった川坂の町は、道路の両側に家が建ち並び、宿屋、飲食店、雑貨店等がありました。
(現岩崎大理石株式会社)
2.北原浄水場

 旧五日市町の人口増加により、給水量を増量するため、昭和39年(1964年)に建設され、同40年(1965年)4月に給水を開始しました。
3.北原地蔵

 昭和46年(1971年)6月に、御堂が改築されました。
 北原地蔵のいわれは不明ですが、お嫁さんが居座りの良いように結婚式の時に、運び込まれました。
4.宮尾城跡

 別名滝尾ノ城と呼ばれており、三和中学校の裏に位置していました。
 築造の年代は不明ですが、利松孫右衛門の所居と伝えられています。
5.法専寺
 元は禅宗でしたが、永禄2年(1559年)に改宗しました。
 寛永4年(1627年)に、本願寺より寺号を受け、現在の亀石山法専寺となりました。
6.廻国塔

 江戸時代中期に、利松村の智真という僧侶が、実誉浄真大徳をめざして日本全国を廻国巡礼し、無事に帰村した記念に建立されました。
7.寺田井手
  (五日市用水路井堰)

 八幡川は、氾濫が多いため17世紀半ば頃、竹之内〜皆賀間に付け替えをしました。
 田に水を入れるため、五日市村の人たちは、川上の寺田村に井堰を作り、寺田・口和田・中須賀・寺地・利松・保井田の6村から土地を借り受けて溝を掘り、五日市村の長林寺に樋門(井手)を設けて灌漑用水に当てました。
8.宝神社跡

 延徳3年(1491年)に社殿を建立し、神家正平に守らせていました。
 その後、旧深入城の清水口という所にあった清水大明神を合わせて、社号を宝大明神としました。
 明治41年(1908年)に、一村一社の合祀に従って廃止されました。
9.山入寺(さんにゅうじ)跡

 建保年中(1213〜1219年)に、寺田村にあった山入寺山の深入城の城主が建立した八幡宮を、城主が絶えたため、寺田村の六角山深入院に引き受け守られていました。
 その後に、深入院が改宗して六角山山入寺となりました。
 現在も、山入寺跡の入口には、五輪塔が残っています。
10.影面(かげとも)の道
   (古代山陽道)

 影面の道とは、古代山陽道の別称で日のあたる南向きの斜面に沿う道を指します。
 古代は唯一の大路で、畿内から九州の大宰府まで結んでおり、安佐南区から石内地区を通り、八幡地区へとつながっていました。
11.正覚寺

 元は天台宗の寺でしたが、延徳3年(1491年)に浄土真宗に改宗され、万治2年(1659年)、本願寺より寺号公称の許可をうけ、龍渕山正覚寺となりました。
 またお寺の中には、樹齢200年以上の松があります。
12.八幡(やはた)神社

 明治41年(1908年)に、一村一社の趣旨に沿って、八幡村では村内神社の合祀をすすめ、大正4年(1915年)8月7日、稲生神社(寺地村)・宝神社(寺田村)・新宮神社・古保理神社(利松村)・大歳神社(口和田村)・稲荷神社(高井村)・大歳神社・竈(かまど)神社(保井田村)の8社を合祀して稲生神社の鎮座地に集め大正神社と称しました。
 昭和3年(1928年)、中須賀村梅王田(ばいおうだ)の八幡神社と大正神社を合併し、現在の八幡神社となりました。
13.原民喜の疎開先

 昭和20年(1945年)、詩人原民喜が幟町で被爆し、のちに田尾寿一氏の離れに疎開しました。
 現在、離れは取り壊され、庭として茶室風の待合室があります。
 この疎開中に書いた作品として「夏の花」や「廃墟から」、疎開生活を点描した「小さな村」などがあります。
14.八幡川酒造

 大正13年(1924年)に、保井田にあった児玉、中地にあった池田の醸造場が合併し、昭和26年(1951年)に現在の「八幡川酒造株式会社」となりました。
15.公聚館(こうしゅうかん)跡

 明治45年(1912年)頃建築され、昭和15年頃(1940年)に閉鎖されました。
 地元役者や旅芸人の芝居興業など、当時の地域における娯楽の一つとされていました。
(現渡辺ビル)
16.八幡村役場跡

 明治22年(1889年)に市町村制が施行され、6ヶ村が合併し八幡村が誕生しました。
 現八幡公民館は、大正時代の八幡村役場の跡地に建てられています。
 大正15年(1926年)に、当時の皇太子(昭和天皇)が広島に行啓された際に松の苗を植えたと伝えられています。
 その後、松は枯れ、昭和22〜23年(1947年〜1948年)頃に植えたものです。
17.みちびき地蔵

 昭和37年(1962年)10月20日、沼田往来の安全を願って釜売氏が建立したものです。
18.正楽寺(保井田薬師堂)

 平安時代初期に弘法大師が訪ね、今の薬師が丘一丁目に寺堂を建立しました。
 明治12年(1879年)に現在の場所に移転しました。
 本尊は行基により極楽寺山の大杉の根で彫られた薬師像で、毎年2月11日には薬師縁日が開かれています。
19.池田城跡

 楠木正成の孫ともいわれている城主の池田教生により、14世紀中期から後期にかけ、保井田地区と五日市地区との境にある城山に築城されました。
 京都と九州を結ぶ山陽道の交通の要衝であり、厳島神社の神領域を守る軍事上の目的も果たしました。
 城山の北麓にごえん谷があり、ここに毛利元就の命により楠木一族を祀るために建立した五葉院がありました。これは現在の光禅寺の前身でもあります。
20 田中寺(でんちゅうじ)

 極楽寺山山頂の大杉より彫られた阿弥陀尊像が安置されていますが、元文3年(1738年)に改宗し、浄土真宗西本願寺派に属しました。
21.上り立て地蔵

 百田地区の火葬場にあった六地蔵の1体で、心の迷いを正しい方向に導いてくれると云われていま
す。
22.胡粉(ごふん)工場跡

旧中須賀村に、文化11年(1814年)から昭和10年(1935年)頃まで胡粉工場があり、内海のカキ殻を水車の石臼で搗き砕いていました。

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