(1)向 井 久 見
(2)久保九郎左衛門
(3)寺 子 屋 師 匠
(4)社倉法の香川将監
(5)某 氏
(1)向井久見(むかい ひさみ)
1888(明治21)6.7~1960(昭和35)10.1
大浜の東光園大仏は、蓮華の花にもたとえられる念仏者・久見女史により昭和10年に建立された。 対戦中の奉仕活動のうち、社会教育面で寄与するものに幼稚園の開設があった。 戦後、大仏ゆかりのサークル活動に東光会(文化人の集い)と恵の会(女性求道者のつどい)があった。 4月8日の花祭りは、広く町民に親しまれている。 |
江戸前半期からしだいに稲作耕作に必要な農業用水路(井手)が築造された。 大井手の開さくの功労者・九郎左衛門の墓碑には「性(せい)篤実にして数理に長じ 測量の術を能(よ)くす 灌漑(かんがい)の便を図(はか)り 二十余町の田今なほ偉績を存す その徳名と共に存す」とある。 久保家の墓地は大井手沿いの久保(または新城)の観音堂(東町内会)近くにある。 |
江戸時代、一般人の子どもは寺子屋で「読み・書き・算盤(そろばん・算数)の初等教育を受けた。 矢野には、その数は比較的に多く、弟子たちによって建てられた師匠墓は6基残っている。 於瀬戸(おせど・福島家)の墓地(花上町内会)には、 釈龍音 文化十年辰子年 五十一才 八月二十一日没 門弟百九人 などがある(写真)。 なかに音曲(三味線)の師匠墓もある。師をしたわしく思う心は厚い。 |
「社倉法関係香川家文書」は矢野でただ1つの広島市指定重要有形文化財。 尾崎八幡神官が創始した自主的救済策は、広島藩により制度化され、飢えに苦しむ多くの人びとを救った。これにより社格は「芸備両国社倉総鎮守」となった。 今年は将監没後205周年にあたり、今秋、発喜会により記念行事が行われる。 |
某氏とは、ある人の意。名が分からないか、名を伏せて言うのに用いる。 中国新聞は「自動車ポンプ寄付者芳名」碑(昭和11年建立・極楽橋たもと)を「某氏 名を捨て―碑に刻む」と紹介した。 矢野出身の政治家(衆議院議員・広島市長)木原七郎氏は「終生清廉」(広島県大百科事典・中国新聞社)にして、政治に一生を捧げた。 昨今の政・官・財界の末期的症状(?)はどうであろう。 |