かもじづくりの町 矢野
広島市東部の安芸区矢野町でかもじづくりは行われています。
矢野町でかもじづくりが盛んなのは油抜きに必要なひげ土と呼ばれる粘土が町内でとれることや、谷あいから流れ出た豊富な水が町内を流れ、かもじ洗いに適していたことなどがあげられます。



-かもじづくりの歴史-
かもじというのは、女性が自分の髪(地毛)で日本髪を結うときに、髪型をととのえるために、中に入れこんだり、添えたりするものをいいます。
かもじづくりは、今からおよそ350年ぐらい前の江戸時代の初めごろ、寛永年間(1624-1644)に矢野の大坂屋吉兵衛が始めたと伝えられています。矢野町内に残る「かもじの碑」は、かもじづくりについて研究するための貴重な資料です。
かもじづくりは明治時代の終わりから昭和の始めにかけてが最も盛んであり、昭和2年(1927)には町内に430軒、1386人の人がかもじづくりを行っていたという記録があります。



かもじづくりの工程ー

・玉毛の油抜き工程
玉毛(からまったり、もつれたりしている毛)についている油やほこりなどを落とすため、カマに水を入れ、アルカリ性の粘土(ひげ土)を加えたものに玉毛を入れて2~3時間蒸します。蒸した後は、まだ熱いうちにカマの中の粘土を玉毛とさらになじませるためヌキイタでたたき、粘土に油やほこりなどをすいとらせます。
・解きそろえ工程
油抜きをした玉毛を竹のサオにかけて日に干し、乾燥させた後、解きほぐし、毛の長さをそろえます。ここまでの工程を「揚げ地仕上げ」と呼びます。この工程の中で、マンガンを使って、手づかみできるぐらいの量の毛玉を何度も鉄棒に通して、毛のもつれを解き、ととのえる作業を「解きそろえ」といいます。
・角沙仕上げ工程
「揚げ地仕上げ」の工程の中で、解きそろえのすんだ玉毛を、さらにカネグシとアラメと呼ばれるキグシを使ってとかし、すきそろえます。こうしてできあがった毛を片手で握れるぐらいの太さにまとめたものを「角沙」といいます。角沙になるといらない玉毛がとりのぞかれるため、最初の玉毛の半分ほどになります。
・染色工程
角沙を美しい黒髪に染めあげるために、カマに水を入れ、むかしはハゼの葉や実いっしょに3~5時間煮ました。今ではヘマチン・ロフンドと呼ばれる化学染料を加えて煮こんで染色します。角沙を染めるのは、角沙の中にまじった白い髪や赤い毛をとりのぞく手間をはぶき、美しくそろった黒髪にするために行われはじめました。
・色止め、光沢つけ工程
染めた角沙の色落ちがしないように、ローハ(成分は硫酸鉄)と呼ばれる薬品を加えて、カマで3時間ほど煮て、そのまま一晩つけておき、そのあと流水で水洗いをします。髪に光沢(つや)をつけるため、さらにカセイソーダを加えてカマで煮こみます。水洗いした後に竹のサオにかけて乾燥させます。今ではカセイソーダのかわりに、洗たく石けんが使われています。
・抜き地工程
染色のすんだ角沙をハコグシを使ってすき通し、同じ長さの毛にそろえて床に並べます。この時に長さをそろえるためにスンイタを使います。分けられた毛は片手で握れるぐらいの太さの束にされて「抜き地」となります。この「抜き地」を使っていろいろなかもじ製品はつくられます。