歴史散歩 石碑を尋ねて
-石碑を美しく石文(いしぶみ)ともいう。
ちょっと立ち止まって人びとの祈りや思いを汲み取ろう。
矢野には石碑も口碑(こうひ・言い伝え)も多い-
(1)髪之碑
(2)水害之碑
(3)保木城主野間家追遠碑
(4)甘薯之碑
(5)久食農道記念碑
(6)かき船句碑
かもじは髢とも髪文字とも。矢野は女性の入れ髪にはじまり、日本かつらに代表される髪文化発祥の地である。 |
被害者の慰霊や災害の再発しないことを祈って、矢野の発展のあとをたどる一等地ともいえる矢野橋のたもとに石碑は立つ。 |
矢野城跡やそれにつづく保木(発喜)城趾への登山口近くに立つ。碑銘は追遠(ついおん)のつぎに「大般若祈祷法会修行(だいはんにゃきとうほうえしゅぎょう)」碑がつく。 |
久保田勇次郎は明治期、アメリカから七福薯(いも)を持ち帰り、広島のみならず全国的にその栽培・普及に尽くした。 |
昭和26年(1956)の建立。矢野小学校西隣り。 |
大浜町内会(住吉社境内) |
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文:発喜会 楠 精洲