わが町の行政区・地名の変遷
<中世 旧国名・郡 〜 現代行政区> |
中世から現代までの歴史情報を多数発信しているが、そこに 神社 や 寺 の古い棟札を調査、紹介した時、私たちが住む同一地域の遺物でありながら、 [佐東郡] や [沼田郡] の古名が見られた。 それらがいつの時代の呼称なのかが判るよう、追って地域名(地名)
の変遷も紹介したいと考えていたが、今回 、行政区(旧 国・郡) と わが町の地名 の変遷について 下の 表と地図 の様に纏めてみた。
武田氏が安芸一国の守護職に任ぜられた平安・鎌倉時代ごろ、 安芸国内には “郡” が置かれ、その下に”郷”が設けられていた。その時の郡は下の表に示す
8つ の郡であった。
その後、武田氏が分郡守護となった 室町時代 には安芸郡と佐伯郡がそれぞれ2郡に分割され、安南(あなん)郡 ・ 安北(あんぽく)郡 ・佐東(さとう)郡
・ 佐西(ささい)郡 となり、武田氏の支配域は前3郡と山県郡との4郡(★)となり、それ以外に4郡があった。
以後、”郡名”は何度も替り、現在は平成の大合併で多く郡が一緒になって市に昇格し郡は著しく少なくなっている。
一方、わが地域の地名も室町時代 祇園 山本 は[伊福郷] 長束は[桑原郷]と呼ばれていたが、これらも幾多の変遷があり今日の地名になっている。
( 注 : 地図は概ねの 形、広さ を示したもので、細部においては必ずしも正確ではありません)
古代/中世 旧国名・郡 〜 現代行政区 |
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注: 安佐郡の名称は安北郡の安と佐東郡の佐 の2字をとって名づけられた |
わが町地名の変遷 |
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中世 旧国名・郡 〜 近代行政区 領域地図 <地図上をクリックすると拡大図がご覧いただけます> |
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1 室町時代
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2 江戸時代
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3 明治時代

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4 昭和時代
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5 平成時代

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参考文献: 広島県発行の[市制・町村制施行後の市町村一覧表]他