歓喜寺(感神院)の仏像写真集
 歓喜寺は改名される前は感神院と称していた。 さらに遡れば元慶8年(884) に 僧 宥尊 が、武田山の麓、現在の広島市立祇園中学校付近の 松尾山(通称 寺の堂=てらんどう) に開基した、松尾山 徳達寺 である。
 天正11年(1583年) 松尾山から現在の 安神社(当時は祇園社と呼ばれていた) 境内に移され 祇園社感神院 と称し、神仏習合の寺社であり、感神院住職が明治維新直前まで、祇園社宮司をも兼執していた。
 不動院、明星院 等とは特に係わり合いも深く、特に、不動院十代住職 宜命、十一代 増繁 等は感神院住職 から転任している。
また、宜命 は明星院の若年 実玄の代執を務め [絹本着色不動明王画像] の寄進を受けている。
 明治維新にあたり、祇園社は安神社と改称され、感神院は神仏分離令により廃寺の恐れもあったが、明治4年(1872) に現在の場所に移され、寺名も 瑞城山歓喜寺 に変更された。

 ここには、古くから広く信仰ががり、多数の仏像類が奉納されているのでそれらを紹介します。下の をクリックしてください、スライドショーで写真が見れます。






























★仏像の大きさ   : [弘法大師像]が約1m 以外は殆どが30〜50p
★制作年代     : 下記以外は現在のところ不明、しかし、概ね江戸時代(1603〜1868)のものであろう
★特異な仏像など : 下記
   また、腕から先が無い仏像が多数確認されるが、明治維新時の神仏分離令と
            廃仏毀釈運動によるものと考えられます

写真 名称 年代 特記事項 備考
 薬師如来 江戸 <感神院住職>阿闍梨良雅 元禄二巳 元禄2年=1689年
 騎馬俑 江戸 元禄二年 宣命 宣命は[絹本着色不動明王画像]を譲り受けた僧
 あまのじゃく   仁王像がこの上に足を置く  
 位牌 江戸 <明星院12世住職>高誡 
<明星院13世住職>月瞳 
・天保12年(1841)没
・安政 2年(1855)没






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