亀山の地名の由来
       

 明治22年合併した各町村では、町村名をいかに付けるべきかについて議論された。
 編入合併については異論は出ないが、対等合併については、各地で問題が生じている。村によっては議論百出で難行し、予定の合併期日が延期された例もあり、合併の難しさが話題となった。
 多くの町村では、旧町村名の1字づつをとるとか、歴史上の背景を参考にするとか、自然条件(地勢)などを勘案して町名とした。福王寺山

 亀山村においても、5カ村の合併という大村にふさわしい村名をと、検討された。
 村域のほぼ中央に、霊峰福王寺山は盤石のようにそびえ立つ。
 山の頂上に弘法大師が開基されたと伝えられ、歴史上の古寺として知られる名刹福王寺があり、境内の一角に「金亀池」があり、このため山号をこの池からとって「金亀山」と号している。
 福王寺は古来信仰の聖地として「西の高野山」の別名をもつほどの聖地、四季を通じて参拝者で賑わった。
 このような歴史的背景を拠り所として、村民が誇りとしている金亀山の”金”を外して、亀山(かめやま)と称することにしたのである。
福王寺境内の金亀池 ここをクリックすると、亀山地域の史跡「金亀山 福王寺」がご覧になれます。

 亀は古来鶴と共に「鶴は千年、亀は万年、浦島太郎が八千歳」といわれ、長寿のめでたいことを表現する場合の言葉に用いられた。
 蓬来山は別名を「亀山」ともいい、東海中にあって仙人が住み、不老不死の理想地とされた。
 松・竹・梅・鶴・亀は祝儀の場合の飾り物に欠かせないものであることはすでによく知られている。いずれも、亀は吉運を象徴するもので、世上よく用いられているものである。
 こうして村名決定には、大きな異議や波乱もなく極めてスムーズに決定した、と古老は伝えている。
 亀山について『大日本地名大辞典(朝倉書店刊)』にも、「亀山は古くは安芸郡弥理郷で、中世に可部庄に併せられた。大字綾カ谷に福王寺という真言宗の寺があり、金亀山と号していたため、村政施行の際五村を合併し、福王寺の寺号にちなみ亀山村と命名・・・」と村名の由来を明確にしている。

 合併当時の5カ村の状況は、次のとおりである。(昭和29年広島県地方課刊「合併町村の変遷」から)
明治21年
の名称
人 口 明治22年4月
の名称
明治29年4月
の名称
人 口
高宮郡 勝木村 1,449  高宮郡

   亀山村
 安佐郡

   亀山村
4,609
     大毛寺村 671
     四日市村 701
     今井田村 340
     綾カ谷村 1,043
       合計 4,204

 このようないきさつを経て「亀山」の地名は、ここに成り立ったのである。
 亀山(村)は明治22年以来、昭和30年3月、町村合併促進法による可部・亀山・三入・大林の4力町村が合併、可部町を設置するまでの60年間、他の町村との合併や境界変更などをすることなく、一貫して共同の運命の下に生活してきたのである。
 このようにして、昭和30年以来亀山の地名は旧来の慣習による諸種の団体・施設などに用いられ「亀山地区・亀山地域」などの名称で、わずかにその名残りをとどめてきた。
 さらに昭和61年には、可部町内山間部を除く地域に「新住居表示」が実施され、従来の「大字」に代わる町名が採用実施された。これによって、新たに「亀山」(一〜九丁目)、亀山南(一〜五丁目)の2町名を新設、これによってこれまでの大字の地城は大きな変動をみることとなった。
                      
亀山の地名の由来は、「広島市亀山公民館10周年記念誌」より取りまとめました。
発行者  広島市亀山公民館
発行年月  昭和62年4月


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