原爆の爪あと

 広島市郷土資料館の建物は、明治44年(1911)に「宇品陸軍糧秣支廠(うじなりくぐんりょうまつししょう)」の缶詰工場として建設されました。ここでは軍用の牛肉缶詰が製造されていました。
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戦前・戦中・戦後を見つめる被爆建物

●原爆の爪あと(写真では黄色の矢印をご覧下さい)
現在、折れ曲がった鉄骨を、玄関の天井に一部保存しています。
見えにくい場合は、ライトに照らされた鉄骨の
天井に映る“曲がった影”を見ていただくと、
曲がった箇所がわかりやすいです。


昭和20年8月6日に投下された原子爆弾による爆風のため、
北側屋根の鉄骨が同じ部位ですべて下向きに折れ曲がりました。
この場所は爆心地から南南東3.2キロにあり、最大風速およそ28m/秒、
最大爆風圧およそ1.2トン/uを受けたものと推定されています。

戦後、この建物は、広島市内に残る数少ない明治の近代洋風建築で、
建築技術や意匠が優れていることなどから、
昭和60年4月に広島市の重要有形文化財に指定され、
5月に広島市郷土資料館として生まれ変わりました。