平成16年度 広島市八幡公民館:魅力づくり事業
ふるさと再発見/歴史調査カード

件名 01 広島綿糸紡績会社跡
所在地 佐伯区大字下小深川
写真
内容  明治維新で旧広島藩の武士が生活困難を招き、これを救済するため政府から広島県への授産金で「広島綿糸紡績会社」が旧河内村下小深川に建設された。明治14年(1881)に着工し、明治16年(1883)に竣工し操業が開始された。八幡川の水力による動力水車を利用し、原動力は4.5馬力のイギリス製タービン水車で、用水は約1キロメートル上流の八幡川水取口より引き込まれた。用水路は幅が3メートルで深さが2メートルの底・側共に石積み工事で、敷地周囲や水車の設置箇所も全て石積みであった。当時はセメントの無い時代で、真砂土に石灰を混ぜ石材を貼り合せた堅固なものであった。当時、八幡川に沿う川坂地区には家が建ち並び、道路の両側には宿屋・飲食店・雑貨店等があった。原材料のインド綿の運搬と従業員の通勤のため、山陽鉄道の五日市駅が新たに設置された。その後利益は伸びず、昭和26年(1961)に頭取の海塚氏が新加入して「広島綿糸紡績株式会社」として組織を変えたが、昭和35年(1960)会社は解散した。「海塚紡績所」「にしきわた株式会社」と名前を変えた。昭和10年代(1935〜44)には軍需工場となり、紡績機械は広島市内に移動したが原爆投下で消滅した。昭和26年(1951)のルース台風で川坂の町は流失したが、今は石垣のみが昔の面影を伝える。現在は「岩崎大理石」が進出し、昔の木造工場は解体され近代的な鉄骨工場となっている。
地図
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