内容 |
原民喜の代表三部作の「夏の花」「廃墟から」「壊滅の序曲」は、自分自身の被爆体験の悲惨な光景を描き原爆作家・詩人として名をはせた。明治38年(1905)広島市幟町で陸海軍や官庁用達の原商店の五男として生まれ、民喜の名は戦争に勝ち民が喜ぶという意味という。旧広島高等師範付属小・中学校から慶応大学へ入学・卒業し、豊田郡本郷町の米穀問屋の娘永井貞恵と結婚した。東京都内の池袋や千葉市を転居しながら中学教師や作家活動をしたが、昭和18年(1943)に貞恵が33歳の若さで死去した。戦争も激しくなり広島市幟町の兄宅に昭和20年(1945)に疎開したが、8月6日8時15分に被爆し2日後に郊外の当時の八幡村に移った。元は農家田尾寿一氏の離れで、飢えと健康に悩まされ石油缶を机として代表作「夏の花」を書いた。家が頑強で原爆死を免れた彼が「今ふと己れが生きていることの意味」にハッとし、書き残さねばならないと思い、体験を小説に書いたのが「夏の花」である。題名は夏の花の書き出しに妻の墓参をするため、買った花が黄色の小判辨の可憐な野趣を帯びた、いかにも夏の花らしかったところから題をつけたといわれる。昭和26年(1951)3月13日に46歳の若さで東京吉祥寺と西荻窪の間で自殺し、友人たちが同年に彼の死をいたみ広島城跡に彼の絶筆である詩を刻んだ石碑を建立した。その後原爆ドームの東側に改装移転され、その碑文には「遠き日の石に刻み、砂に影落ち、崩れ墜つ天地のま中、一輪の花の幻」と、また彼の墓碑は広島市中区東白島町円光寺墓地にあり、御影石には「倶会一処」と刻まれている。 |