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寺号は鷹尾山田中寺といい、宗派は浄土真宗本願寺派に属す。本尊は阿弥陀如来坐像で、建物は本堂と鐘楼のみで庫裏は解体された。『鷹尾山田中寺本尊縁起』によれば「長壱丈の阿弥陀の尊像は僧行基の作」となっている。創建当時は現在の極楽寺山の山頂にあった杉の大樹をもって三体の仏像(極楽寺千手観音像 保井田薬師如来像 田中寺阿弥陀の尊像)を彫り、その一体が田中寺阿弥陀如来坐像であると伝承されている。「夫より一寺を建立し鷹尾山田中寺となづく、香華灯明朝夕となく崇敬したてまつる」とある。元文3年(1738)改宗し浄土真宗本願寺派に属したが、明治初年の寺院調査の際には調査もれとなり、昭和15(1940)年3月31日に「寺院明帳」に編入手続し許可を受けた。田中寺の大仏はかつて向かいの山にあり、永い間にお堂がいたみ雨漏りのために、大仏が朽ち果てないようにと、この地に移して大切に守られた。この大仏を寺に移す時に大仏の体内から9つの小さい仏像が出て、それも一緒に安置された。毎年春の祭りの時に開帳され拝観することができる。 因みに『鷹尾山田中寺本尊縁起』享保9年(1724)に、「申辰三月中幹沙門恵浄謹記」と記されている。 |