武田氏ゆかりの

神社と寺院 

     武田山(銀山城跡)の山麓や周辺地域にはかって安芸武田氏の守護神社や菩提寺などであったゆかりの神社、寺院が
    現在も多数存在します。 武田氏とのかかわりや現在の社寺の写真を掲載して紹介します。
       
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神   社
No 神社名 区分   場 所     武田氏との係わり
1 熊野神社 M 祇園 1 -20-1 この地域に居住するものがあると常に火災が多かったので、領主武田氏が火防の神として祭神を勧請した。 その後は火災がなくなったと伝えられる @もう少し
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2 安神社 M 祇園 2-21-3 当初は武田山の麓の松尾山に有ったが、戦火で焼失した。後、武田家により現在地に社殿が再建された
3 熊岡神社 M 祇園 5-1-32 銀山城主武田元繁が鎌倉鶴岡八幡宮より祭神を勧請し、銀山城の守護神として、武田家一門の崇敬を受けたと伝えらられる。
4 新羅神社 M 祇園 5-25-52 銀山城主の武田信宗が祖先源義光(新羅三郎義光)を祀り、武田氏の守護神として一門の崇敬が厚かった。
5 尾首日吉神社 M 祇園 8-16-1 武田信宗が銀山城を築く時(1289)江州(滋賀県)日吉神社を勧請し、武田氏一門の守護神として創祀された。
6 河内神社 M 大町西 1-14-29 武田氏が銀山城に在城の当時,その麓の河内谷に鎮座して崇敬されていた。
7 田中山神社 M 安東 6-3-2 武田氏が銀山城を築城した際、鬼門鎮護のため勧請したと言われてる
8 萩尾山神社 M 相田 3-10-1 武田元綱が繁綱に下知し明応3年(1494)に造営された。 その後「大利山」へ、更にその後、現在地に移っている
9 諏訪明神 M 沼田町 伴 武田一族の伴城主が信州(諏訪)から勧請したものと伝えられている。
10 岡崎神社 M 沼田町伴字川原 6049 武田氏の家臣(一族)、伴五郎繁清の祖先が勧請したものと伝えられている。
11 宇那木神社 M 緑井 7-2018 武田氏の銀山城の北門鎮護の神社として崇敬された
12 両延神社 K 可部亀山南 3-17-1 当初、武田朝信が下四日市に宇佐八幡宮の分霊を勧請し、建久元年(1253)武田信時によって現在の白石山に奉遷された
13 早稲田神社 H 牛田早稲田1-22-38 安芸武田氏八代目当主「武田元繁」により鬼門鎮護の神社として永正8(1511)年 に創建された
寺   院  
No 寺院名 区分   場 所     武田氏との係わり
1 本願寺広島別院 N 寺町 1-19 元 本坊 [仏護寺] Aもう少し
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2 善正寺 N 寺町 3-11 元 [龍原12坊]
3 圓龍寺 N 寺町 3-13 元 [龍原12坊]
4 報専坊 N 寺町 3-3 元 [龍原12坊]
5 徳應寺 N 寺町 4-25 元 [龍原12坊]
6 光福寺 N 寺町 4-33  元 [龍原12坊]
7 真行寺 N 寺町 5-38 元 [龍原12坊]
8 光圓寺 N 寺町 5-43 元 [龍原12坊]
9 超専寺 N 寺町 6-11 元 [龍原12坊]
10 正善坊 N 寺町 6-2 元 [龍原12坊]
11 元成寺 N 寺町 6-7 元 [龍原12坊]
12 蓮光寺  M 長束 2-1-44  元 [龍原12坊] 
13 正伝寺 M 相田 4-4-1 元 [龍原12坊]
14 品窮寺  K 可部 2-12-4 元 [龍原12坊]
15 光禅寺   S 五日市 2-1-1 元 [龍原12坊]
16 立専寺 M 山本 9-21 銀山城主武田氏の祈願所(香華院)であった。
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17 歓喜寺 M 祇園 4-6-39 歓喜寺はもと感神院と称し、元慶8年(884)武田山山麓の松尾山に開基された。 武田氏にかかわりが深く、この寺の高位高僧が不動院(牛田)の住職などに転任するなど由緒あるお寺。
18 いぼ地蔵 M 祇園 1-20-1 武田光和が ”武田山から投げた”と いわれる石が「お地蔵さん」として祀られている。
19 楊柳観音 M 西原 6-13  武田信隆が甲斐の国から安芸の国司として下向中、馬の尾に喰いつくものがあった。 見ると楊柳観音、それをお祀りしているのが当寺院。
20 教徳寺 M 大町西 1-8-6 武田光和の遺児が剃髪して僧となり,永禄7年(1564)創立したといわれている。
21 鶏頭原薬師堂 M 上安 2-21−23 当時、鶏頭院と称し武田氏の祈願所であった。
22 光明寺 M 高取北 1-3-9 当時、円明院と称し大利谷長瀧山下にあって武田氏の祈願所であり鬼門鎮護の道場でもあった。 武田信隆が寄進した「鰐口」がある。
23 長楽寺(観音堂) M 長楽寺 3-40 武田信隆が弘安6年(1282)安佐北4郡の地頭になったとき祈願所とした。 当時は寺領も多く大きな寺院であった。
24 毘沙門天 M 緑井町 武田氏が北方の鬼門鎮護のため権現山元成寺跡に造営された。
25 福王寺 K 可部町 大寺院であったがその後荒廃していた。 武田氏信の安芸定住と同時に大きな援助を受け、高堂の再建や大師影堂など諸堂が造営せられ、寺領も寄進された。 武田氏信の供養塔や武田氏に関する古文書も多数ある。
26 不動院 H 牛田新町 3-4-9 銀山城主武田氏の菩提寺であり保護のもとに栄えたが、武田氏滅亡後は衰退した。 安国寺恵瓊(武田氏の遺児と言われる)によって再興され隆盛を極めた。 墓地には 「武田刑部少輔」 と刻まれた大きな墓がある。
27 順正寺 K 狩留賀町 4194 天文5年(1536)甲斐国から武田四郎尉重信(武田信虎の弟、武田信玄の叔父、僧名重順)が戦乱を避け安芸武田氏を頼って狩留賀に移住し、古城跡に開基した。
  注 : 区分(場所)欄の M は 安佐南区  K は 安佐北区  N は 中区  H は 東区  
               Sは 佐伯区 を示します
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