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広島市安佐北区 三入・大林地域のマップ

三入の荘(みいりのしょう)/熊谷氏(くまがいし)/高松城跡(たかまつじょう)

■三入の荘

 広島の北部にあるこの地域は、
戦国の鎌倉時代に「三入の荘(旧大林・上町屋・下町屋・桐原(とげ)・上原(うえばら)の各村)」と呼ばれ、
その由来で「三入」と名前がつけられました。

 山紫水明(さんしすいめい)の自然に恵まれ、北に上根峠(かみねとうげ)、東に白木山、南に南原峡(なばらきょう)、
南に高松山があり、中央部を北から南へ根の谷川が流れ、山麓(さんろく)から湧き出る良質の水をもとに、
これにかかわる企業が多いことで有名です。


■熊谷氏

 武蔵(むさし)の国熊谷郷【埼玉県熊谷市】(くまがいごう)を本貫(ほんかん)の地とする熊谷氏は、
承久(じゅうきゅう)の乱(1221)に、直家(なおいえ・第3代)・直国(なおくに・第4代)父子が参戦しました。
 しかし、直国(当時23歳)が瀬田橋の戦いで討ち死にし、その時の戦功(せんこう)で直国の子、
千虎丸(ちとらまる)〔後の直時(なおとき)・当時5歳・第5代〕が、三入の荘の地頭職(じとうしょく)に補任されまし
た。

■高松城跡
高松城跡(高松山)
 高松城跡は、北から南へと流れる根の谷川のそばにそびえる高松山の山頂にあり、
伊勢が坪城(いせがつぼじょう)より高さ339メートルの高松城の方が戦略的に優位と考えたのです。

三入の荘/熊谷氏/高松城跡 土屋敷跡 峠八幡神社
伊勢が坪城跡 三入八幡神社の梵鐘 大林八幡神社
三入三役記念碑 観音寺
【作成】わがまちふるさと自慢研究会